漢詩の唱和

唐詩選』を読みながら、

漢詩の唱和に少し興味を持った。

けれど、相変わらず、

中国語もできないし、平仄もわからないので、

どうお互いの歌に合わせているのか、

がさっぱりわからない。

 

和韻を用いて唱和する漢詩というのもあるらしい。

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徐前「漱石と子規の漢詩作品への一考察 : 唱歌する二作品を中心に」

時間のある時に理解を深めたい。

 

司馬遷の『史記項羽本紀の四面楚歌にも

「歌うこと数闋。美人之に和す。」とある。

しかし、

項羽の詠んだ垓下の歌と、

虞美人の返歌が、

どんな関係になっているのか、

がよくわからない。

内容だけが呼応しているのか。

音の兼ね合いも美しいのだろうか。

 

もちろん、

項羽は、紀元前の人だから、

彼や彼女の詩は、

唐より900年程前の古体詩。

垓下の歌は、七言絶句で、逝がshìで、何がhéで押韻

虞美人の歌は、五言絶句で、声・生がshēngで押韻

 

(垓下の歌)

力抜山兮気蓋世

時不利兮騅不逝

騅不逝兮可奈何

虞兮虞兮奈若何

 

(虞美人の歌)

漢兵己略地

四方楚歌声

大王意気尽

賤妾何聊生

清々しさ

唐詩選』を読みながら、

清々しさのある詩に魅力を感じる。

 

清涼感や透明感、

木や風や水、

光やこもれびやきらめき、

ざわめきや囀りやせせらぎ。

 

一瞬別の世界に、

いる気がする。

そういう気分を、

ずっとなくさないでいたい。

 

但し、

そういった「幽玄」さ、俗世からの離脱が過ぎると、

詩が人間から離れてしまう、

と明代の批評にあるらしい。

ロシア:祝祭日の天気

ロシア航空宇宙軍の飛行機が、5月9日、モスクワ上空の雲を吹き晴らす

国防省が請け合うように、首都から遠く離れたところで降水を促進する航空機が終日稼働する予定

ロシア航空宇宙軍の乗員たちは、対ドイツ戦勝記念日の明日、モスクワとその近郊上空の雲を散らす、と今日月曜日、ロシア国防省でジャーナリストたちに発表された。

www.interfax.ru

唐詩選

清朝(1616-1912)中期に生まれた『唐詩三百首』から、

深澤一幸さんの解説や口語訳とともに、

51首を読む予定。

 

唐王朝は、618-907。

日本の飛鳥・奈良から平安中期ごろにあたる。

 

中国語の音もわからない私には、

近体詩のルールも難しい。

 

平声(ひょうしょう):低くて平らな調子

上声(じょうしょう):平声より高い調子

去声(きょしょう):低音から高音に上昇する調子

入声(にっしょう):短く詰まった語尾k/t/pなどを帯びる調子

 

上声・去声・入声は、仄声(そくしょう)。

平声には、上平声と下平声があり、

韻の種類は、106あるらしい。

 

51首、無事読めるだろうか。

平仄(ひょうそく)ほか、地名や人名、歴史、行政区、漢字の読みすら難しい。

 

読書疲れで、しばし休憩。

外は穏やかで、いい天気。

楚辞

詩経』の次は、『楚辞』。

 

 『楚辞』として伝わる後漢・王逸の『楚辞章句』は、

前漢末の劉向が編集した『楚辞』16巻に、

王逸自身の作品「九思」を加えて17巻としたもの。

 

『楚辞』17巻の中で、

最も古い歌謡は「離騒」「九歌」「天問」。

その中でも、

短編の集まりである「九歌」が、最も古いらしい。

 

角川文庫のソフィア文庫、ビギナーズ・クラシックスの中では、

神々を祀る「九歌」11篇のうち、

神を迎える最初の「東皇太一」と、神を見送る最後「礼魂」が紹介されていた。

また、魂の遍歴を語る長編の物語「離騒」についても、

最初の名乗りから、

天界への飛翔とそこでの遊行、

時間の経過、

そして最後の、さらなる天界への飛翔の突然の終焉まで、

少しずつ解説を交えながら紹介があった。

 

本を読む以外、神々の世界に触れることはほとんどないが、

読むと何かが溢れ出てくるようで、心がざわざわする。

時間や存在や思いやいろいろなこと、目に見えない森羅万象含め、すべてが、改めて不思議だ。

詩経:王朝の始祖

大雅(たいが)・生民之什(せいみんのじゅう)・生民

后稷(こうしょく)は、周王朝の始祖で、母は姜嫄(きょうげん)。

周は、中国の最も古い王朝(夏・殷・周)の一つ。

姜嫄は、天帝(巨人)の足跡を踏んで、子を宿し、

不吉だったので、生まれた后稷を何度も捨てたらしい。

 

頌(しょう)・商頌(しょうしょう)・玄鳥(げんちょう)

殷(商)の始祖は、契(せつ)といい、母は簡狄(かんてき)。

ツバメの卵を呑んで、契を宿したらしい。

 

読みながら、できる範囲で振り返り、まとめている。

少しだけ読んだことが身になり、記憶に定着するような気がする。