うつほ物語

琴の名手が登場する。舞も見てみたい。

清原俊蔭が持ち帰った様々な琴の音も聞いてみたいし、彼の娘や孫にあたる仲忠のうつほ(ほら穴)での練習三昧の暮らしにも憧れる。

 

風や雨の音、鳥の囀りや移動、蝶の舞う姿に惹かれる。

渡り鳥のように休まずみんなでヒマラヤを越えていけって言われたら泣いてしまうだろうけれど、空を飛べるっていいなぁって思う。

紫式部日記

紫式部日記の一部いくつかを読んだ。

中高校生の頃、文学史で、いろいろな作品や作者名を覚えたが、覚えただけで読んでいないのが、虚しかった。

読むと、こんな内容だったか、とわかることもある。

紫式部日記』も読めてよかった。

次は、『うつほ物語』を読むことにする。

 

カラーや白黒で添えられている絵も、よく見ると楽しい。

和泉式部日記16

和泉式部の歌に、敦道親王返歌5首。

初句が同じでも違うから、いろいろな人が読むのを聞くのは楽しい。

けれど、会えずに歌のやりとりばかりでも、辛かろうと思う。

 

秋のうちは朽ちはてぬべし ことわりの時雨にたれか袖はからまし

ー 秋のうちは朽ちけるものを 人もさはわが袖とのみ思ひけるかな

 

消えぬべき露のわが身は物のみぞ あゆふ草葉に悲しかりける

ー 消えぬべき露の命と思はずは 久しき菊にかかりやはせぬ

 

まどろまであはれいく夜になりぬらん ただ雁が音(ね)を聞くわざにして

ー まどろまで雲井の雁の音を聞くは 心づからのわざにぞありける

 

われならぬ人もさぞ見ん 長月の有明の月にしかじあはれは

ー われならぬ人も有明の空をのみ同じ心にながめけるかな

 

よそにても同じ心に有明の月をみるとやたれに問はまし

ー よそにても君ばかりこそ月見めと思ひて行きし今朝ぞくやしき

和泉式部日記11

敦道親王が、和泉式部宅を訪れ、彼女がいるところまで、前栽のなかを歩きながら口ずさむ歌、

 

わが思う人は草葉の露なれやかくれば袖のまづそばつらむ

 

露の意味が、はかなさや絶望のようなものから少し離れていて、惹かれた。

露が掛かると袖が濡れることと、思いを懸けると涙で袖が濡れることがかけてある。

 

3つ目の勅撰和歌集で平安末に成立したらしい『拾遺和歌集』の12巻、恋2、読み人知らずの歌のよう。

蜻蛉日記144

春雨煙る旧暦二月の朝、

夫・兼家が妻・道綱母の家から出ていく時の描写。

 

出衣(いだしぎぬ)にしたり、

朝ごはんはいつも食べないからいらないよ、

と言ったりするのが、

今とあまり変わらないような気がする。

 

更級日記土佐日記蜻蛉日記などを読むと、

私が考えている以上に、

平安時代の人が、広い範囲を、朝早くから夜遅くまで行動しているのがわかる。

夜は暗くて怖いだろうにと思うのだけれど、

旅の出発が夕暮れ時だったりする時もあるようで、

驚かされる。