自己評価

先生の評価の付け方、学校の成績のあり方が云々されるけれど、

実際では、

学ぶ人自身、生きていく人自身が、

どれだけ成長したのか、

理解したのか、

できるようになったのか、を

自分で実感し、喜びとして感じられることの方が大事だと思う。

古事記

現代語訳と書き下し文と寸評を通して、『古事記』の一部を読んだ。

違う時代、世界、価値観があると知るのは、気晴らしになる。

 

日本語を漢字で表した太安万侶の苦労に感心する。

写本を読める人にも感心する。

ヤマトタケルノミコト(倭建命、『日本書紀』では日本武尊)の移動距離にも感心。

 

締め切りの近い大学通信のレポートや

持ち帰った仕事に

手がつけられないでいる。

 

息を深く吐いて、深呼吸。

平家物語

斬首や首実検、

引き回しや自害などが連続して語られると、

滅入ってくる。

 

和歌や笛、弓の名手の話、

親子の愛や妻子への愛も

所々にあるが、

別の人生もあっただろうにと苦しくなる。

 

日本の広い範囲が戦場となり、人が亡くなった。

殺し合いの末に天下を取った者がいて、

和解があって、鎮魂のストーリが伝承されるのは、

世界共通のことなのだろうか。

それとも、日本やアジアの文学にありがちな傾向なのだろうか。

ふと疑問を感じた。

『太平記』後半

相変わらずたくさんの人が出てきて、

いろいろなことが起こるので、

整理ができないまま、

なんとなく読了。

 

印象に残っていることは、

例えば、

巻21:高師直(こうのもろなお)が塩谷高貞(えんやたかさだ)の妻に宛てる恋文を兼好に代筆させた話と塩谷一家のその後。

巻33:尊氏が背中に悪性の腫瘍ができて、54歳で亡くなったこと。

巻35:世の中が治る道理と青砥左衛門の貨幣流通の話。

巻37:延文6年(康安元年、1361)の大地震(正平地震)や真夏の大雪、大津波の話題。

巻39:文永の役(1274)や弘安の役(1281)が最後の方になって出てくること。

 

付録の『平家物語』略年表は、

1318年の後醍醐天皇の即位から、

1392年の南北朝の合一まで。

 

巻33には京都の荒廃についても書かれていた。

 

人が、馬や徒歩で広い範囲を移動していると想像するだけで感心する。

 

途中、夢窓疎石(1275-1351) の書や庭園も気になって少し調べた。

機会があったら行ってみたい。

 

次は『平家物語』を読む予定。

太平記

全40巻あるうちの一部を読んでいる。

次は14巻目。

13巻では、

大塔宮(おおとうのみや)の非業の死、

高氏から尊氏への改名

などの話が出てきた。

 

大塔宮は、後醍醐天皇の息子で、

護良親王(もりよししんのう)。

 

たくさんの人が登場しては、

自害や斬首で亡くなったり、

敵方に寝返ったり、

さらに寝返ったりしている。

 

読んでいると苦しくなってくる。

今とは違う社会や人たちのお話だ

とも思うが、

果たしてそうなのだろうか

とも思う。

 

今日は秋分の日。

秋の夕暮れも味わいたい。

残りも読み終えたい。

持ち帰った仕事にも少し手をつけておきたい。

通信のレポートも残り4本。

試験も近い。

試験対策もしておきたい。

十八史略

角川の初心者向け『十八史略』では、

聖王(黄帝、尭、舜、禹)、暴君(桀王、湯王、紂王、武王、幽王)、宋・斉(せい)・魯・田氏斉の興亡、始皇帝についての記述が紹介されていた。

 

李斯(りし)や韓非子始皇帝の長男扶蘇(ふそ)。

李斯は篆書も上手、韓非子は法家の大家、扶蘇も義に厚く、優しい人だったようなのに、悲しい最後を迎えた。

いろいろ思うと苦しくなる。 

 

最近気に入っている言葉は、

フリッツ・ツビッキーFritz Zwickyの

「球形のろくでなしspherical bastards」。

どこから見てもろくでなし、という意味らしい。

悪口もこんな感じだと楽しい。