『太平記』後半
相変わらずたくさんの人が出てきて、
いろいろなことが起こるので、
整理ができないまま、
なんとなく読了。
印象に残っていることは、
例えば、
巻21:高師直(こうのもろなお)が塩谷高貞(えんやたかさだ)の妻に宛てる恋文を兼好に代筆させた話と塩谷一家のその後。
巻33:尊氏が背中に悪性の腫瘍ができて、54歳で亡くなったこと。
巻35:世の中が治る道理と青砥左衛門の貨幣流通の話。
巻37:延文6年(康安元年、1361)の大地震(正平地震)や真夏の大雪、大津波の話題。
巻39:文永の役(1274)や弘安の役(1281)が最後の方になって出てくること。
付録の『平家物語』略年表は、
1318年の後醍醐天皇の即位から、
1392年の南北朝の合一まで。
巻33には京都の荒廃についても書かれていた。
人が、馬や徒歩で広い範囲を移動していると想像するだけで感心する。
途中、夢窓疎石(1275-1351) の書や庭園も気になって少し調べた。
機会があったら行ってみたい。
次は『平家物語』を読む予定。
太平記
全40巻あるうちの一部を読んでいる。
次は14巻目。
13巻では、
大塔宮(おおとうのみや)の非業の死、
高氏から尊氏への改名
などの話が出てきた。
大塔宮は、後醍醐天皇の息子で、
護良親王(もりよししんのう)。
たくさんの人が登場しては、
自害や斬首で亡くなったり、
敵方に寝返ったり、
さらに寝返ったりしている。
読んでいると苦しくなってくる。
今とは違う社会や人たちのお話だ
とも思うが、
果たしてそうなのだろうか
とも思う。
今日は秋分の日。
秋の夕暮れも味わいたい。
残りも読み終えたい。
持ち帰った仕事にも少し手をつけておきたい。
通信のレポートも残り4本。
試験も近い。
試験対策もしておきたい。