聖なる怠け者の冒険
『恋文の技術』を勧めてくれた知人から、再び、森見登美彦の作品を借りた。
新聞連載の後、単行本が出て、文庫が出た。その文庫を貸していただいた。
イラストはフジモトマサルさん。
登場人物の「ぽんぽこ仮面」を、うっかりすると「ぽこぽこ仮面」と読みそうになりながら、今は、第3章をもう少しで読み終えるところにいる。
森見さんは、いろいろな要素を散らしておいて、それをたぐり寄せるのが上手な感じ。
新聞連載と単行本と文庫本ではかなり文章に変更があったとあとがきに書いてあった。
外は曇りで、窓を開けると雪。
やるべきことを全てやれないまま週末が過ぎていく。
思い煩わず、心を空にして、その時々を過ごせたらいい。
だから、今からそうしよう。
論語
残されているものによって、
2500年程前にも遡って、その考えを読み、知ることができるのは不思議だと思う。
第二部を読み始めて印象的だったのは、加地伸行さんの解説(p142)
「この祖先供養は本来儒教的なものであり、インド仏教にはありません。」
「つまり、孝とは<親に服従する>というような単純な意味ではなくて、<生命の連続に対する畏れと尊敬と>という宗教意識を核とするものなのです。」
儒教や仏教に、特段、思い入れや信仰があるわけではない。
ただ、毎日の生活の中で、「そもそも」を忘れがちなことを反省した。
よく知りもせず、何も為していないのに、
知ったようなつもり、何事かを成し遂げたつもりで、
顧みず、努力しないことを恥ずかしいと思った。
ヨーロッパ文学講義
ナボコフの『ヨーロッパ文学講義』の日本語訳(TBSブリタニカ)を読み始めた。
ナボコフが残したメモやノートをまとめた編者のフレッドソン・バワーズFredson Bowersの仕事にも感心させられた。
編者の前置きに続いてあるジョン・アップダイクJohn Updikeの序文も面白く読めた。
以前読んだはずなのに、以前すぎたのか、忘れていることが多かった。
妻に書いた手紙以外の手紙もたくさんあるようなので、まとまった書簡集のようなものがあれば、読んでみたい。
「良き読者とは想像力と記憶力と辞書と、それからなんらかの芸術的センスをもった人のことであ」(p5下段)り、「一流の作家はこれら三つのものー物語の語り手、教師、魔法使いーを合わせ持っている」(p8下段)と語るナボコフ の「良き読者と良き作家」論も面白かった。
現在の出版社は、河出書房新社のよう。
チェルヌイシェフスキー
ナボコフの『賜物』第4章:チェルヌイシェフスキーの自伝を読み終えて、
第5章に入った。
2017年の3月にサンクトペテルブルクを訪れた時は、
ナボコフの生家やコンサートや観劇、ネフスキー大通りや運河沿いを歩くなどで精一杯で、すっかり、チェルヌイシェフスキーのことを忘れていた。
寒さの中、後戻りできず訪れたペトロパヴロフスク要塞の政治犯収容所に、チェルヌイシェフスキーがいたとのこと、改めて知った。
(ナボコフの先祖がこの要塞の司令官をしていたことも、後述の『ロシア文学講義』p128下段で、改めて知った)
収容所の見学は、
2階建の個室を見学ルートにしたがって、順次見てまわるだけだったが、
怖くって、恐る恐るだった。
その前に足を踏み入れた、
ペトロパヴロフスク要塞にある大聖堂でも、度肝を抜かれた。
それとは知らず中へ入ると、
歴代の皇帝たちの棺が床に、ただそのまま、埋められることもなく、
たくさん並べてあったからだ。
ペトロパヴロフスク要塞には、
他にも博物館のようなものがあり、
当たり前だけれど、
歴史が今と関わりを持ってそこにある、という感じがした。
造幣局もあった。
ナボコフの『賜物』を読み終えたら、