持続可能な社会

環境倫理が主張する「持続可能な社会」は、

「地球の資源の有限性と生態系の閉鎖性」を前提としている。

「私たちは地球で生きるかぎり、自分たちの活動の結果からの逃げ場をもたないのである」と高校の倫理の教科書(p187)はいう。

他者

他者は、自分と等しいもの。

基本的人権でいうなら、平等権、社会権参政権、請求権?

 

他者は、自分と異なるもの。

基本的人権でいうなら、自由権


「他者とともによりよく生きる道を求めるのが、倫理の問い」と高校の倫理の教科書(p200)。

また「私たちは、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」(「日本国憲法」全文)と願う日本の社会の一員として、真に人類の平和と福祉に貢献する道を求めていかなければならない。同時に私たちは、人類社会の一員として、すべての人が喜びをもって共存・共生していく世界の実現をめざさなければならないであろう」とも(p203)。


歴史

ドラマの「JIN -仁- 」を見て、歴史は面白いものだと思った。

もちろん、ドラマと史実は違うのだろうが、当時の状況や心情、人の動きに思いめぐらすのは楽しい。

自宅にいることが多くなった今、社会の仕組みや自分のありようについても知っておきたくなった。

そこで改めて、手元に残っていた社会の教科書を読み始めた。

随分以前のものなので、今の社会と変わっている部分もあるが、専門書に比べ、噛み砕いて簡単に説明・注を加えてくれているのがありがたい。

私は読んでもすぐ忘れてしまうので、少しメモしておく。

 

昨日読んだのは、大阪書籍「中学社会 公民的分野」(H19発行)。

社会主義とは、「生産手段の社会的所有により、社会全体の生産と消費を計画によって調節し、各人の労働に応じて所得の分配を行う制度のこと(p166)」というスッキリした説明に、そうだったのかと驚いた。

WHOが国際機関だとは知っていたが、国連の経済社会理事会(各国国民の生活水準の向上を図る仕事)の専門機関だとは知らなかったし、日本の国連通常予算分担率も改めて知った(p160-161)。

2018~2020年国連通常予算分担率・分担金|外務省

昨日は「日銀が追加金融緩和 上限なく国債購入」というニュースが流れた。日銀の金融政策と政府の財政政策(p143)は上手に行くのか不安になった。

日銀が追加金融緩和 上限なく国債購入 政府の経済対策に連動 | NHKニュース

 

今は昨日から読みかけている清水書院の「高等学校 新倫理 改訂版」(H23)の「第3編 国際社会に生きる日本人としての自覚 第2章 現代の日本と日本人としての自覚」冒頭にある坂口安吾堕落論』の引用箇所で止まっている。

「堕ちる道を落ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」の文章が、焼け跡で生活する人々の写真とともにあって(p114)、なんだか考えてしまった。政治は大事だけど、あてになんないんだよなぁ〜、当たり前だけど、って。でも随分助けてもらっている。多くの人に助けてもらっている。

日清・日露戦争後の産業革命の進行に伴って出てきた労働・社会問題と社会主義思想への人々の関心について触れているところ(p107)では、この時期の社会主義思想が、キリスト教に基づく人道主義の立場から出発した片山潜らの思想と中江兆民の民権論から出発した幸徳秋水らの思想があるとあった。昨日読んだ「社会主義」についての注は、その方法や制度で、今日読んだのはそこへ至る思いのようなもののようだ。

密教でも三密(身密・口密・意密)は出てくる。

密教では、宇宙の永遠の真理そのものを仏と見なして、大日如来毘盧遮那仏)とよぶ。大日如来は、ただみずからの楽しみのために、時空を超えて教えを説きつづけているとされる。この教えが密教であり、聞き手の能力に応じて説かれた釈迦の教え(顕教)にくらべ、より深遠・不可思議であるといわれる。空海によれば、人は三密の行を修することによって、即身成仏をとげることができる。すなわち、手に印契を結び、口に真言を唱え、心を仏に集中させるとき、一方では仏の慈悲や宇宙万物の生命力が人に加わり、他方では人がこれを受けとめて(双方のはたらきをあわせて「加持」という)、人と仏との一体化が成り立つのである」とのこと(p79-80)。

加持祈祷ってなに? - 密教秘術のコラム

 

地理や日本史、世界史も続けて読みたい。

偉業

ナボコフの『偉業』を読み終えた。

読書をしていても、他ごとを考えていることが多くで、何行か飛ばしているような読み方しかできないが、ひとまず読み終えた。

ベルリンのウンター・デン・リンデンUnter den Lindenなどの地名が出てくると、鴎外の『舞姫』との相違を考えてしまう。

 

年表を見ると、ナボコフのベルリン移住が1919年で、ナボコフ20歳。

鴎外がベルリンにいたのは、1887-1888年のようなので、30年ほどの開きがある。

ベルリンを訪れたことはないので、一度行ってみたい。

 

文庫版のp343に「そこでマルティンは、筒状に巻いた地図をさっと取り出した。その地図はもうそらで覚えていて、気晴らしに何も見ないでそれを紙に描いてみせたことも一度や二度ではなかった」とあった。

地図をそらで覚えることができる時間の使い方に、読みながらはっとした。

雨。

休暇をとって自宅でのんびり。

ベランダの壁の上に落ちる雨が弾かれて飛び散るさまを見ている。

きれいだしおもしろい。

ぶつかって思わぬ方向へも飛び散る。

引っ越してから自宅でこんな風にのんびりするのは初めて。

おかげさまでありがたい。

私の力などほんとちっぽけ。