文学
松下裕訳の『チェーホフ戯曲選』(2004第1版第1刷、水声社)を読み始めた。 何者でなくても、どうということはない、大切なことはそんなことじゃない、そもそもみんな何者でもないし……と思える戯曲。 ちょうど先日、友達とそんな話をしたから、そう思うだけ…
本を読んでいると、湧いてはまた湧いてくる雑念が絶えない。 一通り雑念を出し切ってしまわないと無くならないものなのか。 雑念は、後悔や不安や弱さや失敗や諸々の情けない自分を認められない・受け止めきれないところから出ているもののようで、現れては…
夏目漱石の『こころ』を上・中・下の中まで読んだ。 人間は未熟で軽薄な生き物だと言ってしまうことすら未熟で軽薄だと感じる。 中での、父と先生の重ね方や遅延から生まれる緊迫感から、漱石はうまいのだと改めて感じた。
藤村の『夜明け前』のダイジェス版を読み始めた。 なんでも読んでみるもの、経験してみるもので、 思っていたより読み応えがあって、自分の浅はかさが恥ずかしい。 当時は、こんな社会だったんだということが知れて、 街道の行き来から、多くのことがわかる。…
泉鏡花を読んだのは初めてだったと思う。 小説は、描写に意外性があると面白く思える。 物・事、名詞をどう形容するのか、世界をどう見ているのかは、 人によって違っていて、 その世界が言葉で立ち現れてくると楽しい。
角川文庫のビギナーズ・クラシックス近代文学編の1冊、 『鷗外の「舞姫」』を読んだ。 在庫もなく、再版予定もないようなので、アマゾンで中古を購入した。 官僚制や国家、組織の縛り、「和を以て貴しと為す」感じの日本像は、今もある。 豊太郎は、苦しん…
カフカ『変身』やジョイスの『ユリシーズ』に関する章段も読み、 ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』を読了。 講義の中で取り上げられている作品をもう一度読んで、再び読みたい。 おとぎ話として、『変身』や『ユリシーズ』を楽しんだり、 創作の苦労や工夫に…
喜びの戦慄。 そんなものを感じられたらいいな、 とナボコフの文学講義を読みながら思う。 「ささいなものを不思議に思う」気持ちを忘れず、常識を超えて行く力がほしいと思う。 私はまだ「生きる術を学びとりたいというような青二才」(『ヨーロッパ文学講…
1885年、スティーブンソン(1850-1894)が書いたこの作品では、薬を飲んで、人間ジキルから人間ハイドに変わる。 1942年発表された中島敦(1909-1942)『山月記』は、その性格ゆえ?に、人間李徴から人食い虎に変わる。 変化のきっかけ・動機も、苦悩も変化…
1846年〜1854年まで付き合いのあったルイーズ・コレに、フロベールが送った「ボヴァリー夫人」創作に関する手紙が興味深い。 ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』(TBSブリタニカ)の中には、 「同じ会話のなかに、五、六人の人間(会話している人物)、ほかの何…
「本を背筋で読まないなら、まったくの徒労だ」と、ナボコフは『ヨーロッパ文学講義』のディケンズの章の出だしで言う。 「本を読むとき精神を使うのは言うまでもないが、芸術の喜びが生まれる場所は、肩甲骨のあいだにある」とも。 肩甲骨はバイオリンを弾…
ナボコフの『ヨーロッパ文学講義』の日本語訳(TBSブリタニカ)を読み始めた。 ナボコフが残したメモやノートをまとめた編者のフレッドソン・バワーズFredson Bowersの仕事にも感心させられた。 編者の前置きに続いてあるジョン・アップダイクJohn Updikeの…
ナボコフの『ロシア文学講義』の日本語訳(TBSブリタニカ)を、 やっと読み終えた。 のんびり読んでいた。 ナボコフの知識や理解、想像力には胸がいっぱいになるし、 翻訳した小笠原豊樹さんにも感心させられた。 小笠原さんは、詩人でもあるらしい。 books.…
ナボコフの『賜物』第4章:チェルヌイシェフスキーの自伝を読み終えて、 第5章に入った。 ニコライ・チェルヌイシェフスキー - Wikipedia 2017年の3月にサンクトペテルブルクを訪れた時は、 ナボコフの生家やコンサートや観劇、ネフスキー大通りや運…
角川ソフィア文庫の『近松門左衛門』をやっと読み終えた。 作中、何かのために死ぬ人が多いが、それは社会問題になって、禁じられたりして、現在がある。 唐突で荒唐無稽な印象も多々受けたが、当て込みを知ったり、私の「常識」から外れてたりして、展開や…
方丈記の冒頭に「これをまことかと尋ぬれば」という言葉がある。 「これが本当かと調べてみると」昔のままの家はまれで、川の流れも、人も、住まいも、自然も人事も全て無常である。そしてそれがどこから来てどこへいくのか、何故なのか、知らない、と長明は…