歴史
ドラマの「JIN -仁- 」を見て、歴史は面白いものだと思った。
もちろん、ドラマと史実は違うのだろうが、当時の状況や心情、人の動きに思いめぐらすのは楽しい。
自宅にいることが多くなった今、社会の仕組みや自分のありようについても知っておきたくなった。
そこで改めて、手元に残っていた社会の教科書を読み始めた。
随分以前のものなので、今の社会と変わっている部分もあるが、専門書に比べ、噛み砕いて簡単に説明・注を加えてくれているのがありがたい。
私は読んでもすぐ忘れてしまうので、少しメモしておく。
昨日読んだのは、大阪書籍「中学社会 公民的分野」(H19発行)。
社会主義とは、「生産手段の社会的所有により、社会全体の生産と消費を計画によって調節し、各人の労働に応じて所得の分配を行う制度のこと(p166)」というスッキリした説明に、そうだったのかと驚いた。
WHOが国際機関だとは知っていたが、国連の経済社会理事会(各国国民の生活水準の向上を図る仕事)の専門機関だとは知らなかったし、日本の国連通常予算分担率も改めて知った(p160-161)。
昨日は「日銀が追加金融緩和 上限なく国債購入」というニュースが流れた。日銀の金融政策と政府の財政政策(p143)は上手に行くのか不安になった。
日銀が追加金融緩和 上限なく国債購入 政府の経済対策に連動 | NHKニュース
今は昨日から読みかけている清水書院の「高等学校 新倫理 改訂版」(H23)の「第3編 国際社会に生きる日本人としての自覚 第2章 現代の日本と日本人としての自覚」冒頭にある坂口安吾『堕落論』の引用箇所で止まっている。
「堕ちる道を落ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」の文章が、焼け跡で生活する人々の写真とともにあって(p114)、なんだか考えてしまった。政治は大事だけど、あてになんないんだよなぁ〜、当たり前だけど、って。でも随分助けてもらっている。多くの人に助けてもらっている。
日清・日露戦争後の産業革命の進行に伴って出てきた労働・社会問題と社会主義思想への人々の関心について触れているところ(p107)では、この時期の社会主義思想が、キリスト教に基づく人道主義の立場から出発した片山潜らの思想と中江兆民の民権論から出発した幸徳秋水らの思想があるとあった。昨日読んだ「社会主義」についての注は、その方法や制度で、今日読んだのはそこへ至る思いのようなもののようだ。
密教でも三密(身密・口密・意密)は出てくる。
「密教では、宇宙の永遠の真理そのものを仏と見なして、大日如来(毘盧遮那仏)とよぶ。大日如来は、ただみずからの楽しみのために、時空を超えて教えを説きつづけているとされる。この教えが密教であり、聞き手の能力に応じて説かれた釈迦の教え(顕教)にくらべ、より深遠・不可思議であるといわれる。空海によれば、人は三密の行を修することによって、即身成仏をとげることができる。すなわち、手に印契を結び、口に真言を唱え、心を仏に集中させるとき、一方では仏の慈悲や宇宙万物の生命力が人に加わり、他方では人がこれを受けとめて(双方のはたらきをあわせて「加持」という)、人と仏との一体化が成り立つのである」とのこと(p79-80)。
地理や日本史、世界史も続けて読みたい。