喜嶋先生の静かな世界

2年前に買って放置していた森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』を読み始め、

先ほど、最後の章である4章目に入った。

残り最後まで、

先にパラパラとみてみた。

結末は、音信の不通や絶望の危機に信じたい希望。

結婚式での喜嶋先生のスピーチはとても可笑しくて楽しいものだった。

 

読み終わったら、

帰って少し仕事を片付ける。

それが終わったら、再び読書か睡眠。

そして梅雨明け頃には、

数学のレポート作成に邁進したい。

恋文の技術

森見登美彦『恋文の技術』の最終章を読み始めた。

 

思い出すのは昔の文通。

返事を書くのに何時間もかかった。

そうして書いている最中に、また届いた。

ずっとは続かなかった。

それぞれにそれぞれの人生があった。

物思い

あれでよかったのか、よくなかったのか。

 

済んでしまったことだから、

もうどうしようもないのに、

わからなくて、くよくよしている。

 

ただ、こんな気分になるのだから、

自分には良くなかった。

荷が重かったのだ。

そっと静かに暮らせるようになりたい。

 

広い目、長い目で見れば、

波立ちもしない一瞬、なのだろう。

中庸

『中庸』も、『礼記』の一篇。

 

読み始めたところで、気になることを少しだけメモして、整理。

 

「慎独(独りを慎む)」は、修養方法の一つ。

自分自身と向き合い、自分を大切にし、自分の心に芽生えた悪を摘むことのよう。

 

中国思想では、心の動きを「情」と言うらしい。

六情は、喜怒哀楽好悪。

七情は、喜怒哀懼愛悪欲。

 

感情がまだ発動していないニュートラルな状態を「未発」、

発動している状態を「已発」。

 

「未発の中」は、まだ動きのない静かな心の姿で、

まっすぐに安定している様子。

已発の和」は、心が喜怒哀楽の感情となって動き現れた姿で、

極端に走ることなく、節度にかなって調和のとれている様子。

 

「未発の中」は、「天理の善なる本性」であり、「已発の和」の「大本」。

已発の和」は、時代や場所を超えて通用する人の道であり、「天下の達道」。

大学

『大学』は、礼記』の一節。

 

以下は、

その体系である三綱領(止至善・明明徳・新民)と

八条目(格物致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下)。

 

目標に達するために大切な手順は「本末」といい、

まず始めにすべき本質的な事である「本」が「明明徳」、

「末」が「新民」。

 

「止至善(究極の善にしっかりと踏み止まる)」であるためには、

「明明徳(明徳を明らかにする)」と「新民(民を新たにする)」が必要。

 

「明明徳」を実践するためには、

「格物(物にいたる)」「致知(知をいたす)」「誠意(意を誠にする)」「正心(心を正す)」「修身(身が修まる)」が必要。

 

「新民」を実践するためには、

「斉家(家をととのえる)」「治国(国を治める)」「平天下(世界が平和になる)」が必要。

 

なかなか内容が頭に入ってこないが、

「誠意(意を誠にする)」の意味が、

「自分で自分(の本心)を欺いてはいけないということ」

「自分自身が心地よく満足すること(自ら謙(こころよ)くする)」であるという説明には、はっとさせられた。

 

「自分に誠実か、自分を欺くか、その分かれ目は、自分一人だけが知っていることなので、それで人徳のある立派な人(君子)は、独り、自分だけが知っている境地を慎む(心を真にして欺かない)」とのこと。

 

「謙」には、満足や気持ちよさ、

「慎」には、大切にする、価値あるものとして重くみる、の意味がある。