詩経

詩経』のいくつかを読み始めた。

 

なぜかドキドキしている。

繰り返しや呪術的な意味、解釈の変遷などに触れることが楽しい。

 

桃もただ美味しいだけじゃない。邪気を払う神木。

静→靖、愛→曖など、仮借を踏まえた理解も興味深い。

 

解説は牧角悦子さん。

現在、305篇の形で残る詩集の母体は、

紀元前1000から2000年の昔の殷の頃の神事にまで遡るという。

 

内容的な分類は3つ。

各地の民謡である風(ふう)と、公事・宴席などで歌われた雅(が)と、祖先を称える頌(しょう)。

表現上の分類も3つ。

比喩なしの賦と、直喩使用の比と、呪物が読み込まれた興。

遊び

道長大堰川での舟遊び。

作文の船、管弦の船、和歌の船。

をぐらやま あらしのかぜの さむければ もみぢのにしき きぬひとぞなき

公任(966-1041)はどの舟にも乗れる人だったらしい。

羨ましい。

 

勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ

村上天皇の返歌なし。

紀貫之(872-945)の娘作という鶯宿梅(おうしゅくばい)の歌。挑戦的でかっこいい。

 

去年今夜待清涼 秋思詩篇独断腸 恩賜御衣今在此 捧持毎日拝余香

(こぞのこよひはせいりやうにはべりき しうしのしへんひとりはらわたをたつ おんしのぎよいはいまここにあり ささげもちてひごとによこうをはいす)

村上天皇の父で60代天皇醍醐天皇の頃、左遷先で詠んだという道真(845-903)の漢詩

沁みる。

「秋思」という題で詠んだ断腸の思いを込めた詩も気になる。

 

最近、歌を詠んだりすることに憧れる。

のんびり心を遊ばせたい。

大鏡

史記』の一部を読み終え、『大鏡』を読んでいる。

大鏡』は、平安時代(794-1185/1192)後期に成立した、紀伝体の歴史物語。

55代天皇文徳(もんとく)天皇(827-858)即位(850)から、

68代天皇後一条天皇(1008-1036)の万寿2年(1025)までのお話らしい。

 

世継や繁樹夫婦が出てくる序、

出家する花山天皇(968-1008)や兼家(929-990)・道兼(961-995)父子、晴明(921-1005)の登場する話、

眼病を患った三条天皇(976-1017)が娘・禎子内親王(1013-1094)の髪を撫でる話、

基経(836-891)と光孝天皇(830-887)即位の話、

左大臣時平(871-909)と右大臣道真(845-903)の確執やそれに関連して詠まれた詩歌、

まで読み進んだ。

 

史記』同様、固有名や年代を何度も振り返らないと、人も区別できず、話も整理できず、記憶にも残らない。

 

干支もよく出てくる。

今年2017年は丁(ひのと)酉(とり)で、34番目の組み合わせ。

 

外は雨が降りそうな曇り空だけれど、西の空は明るい。

窓を開けているので、鳥の声が聞こえる。

チェチェン共和国:LGBT

カディロフは、チェチェンにおけるゲイ迫害についての報告の検証に協力すると約束

しかし、チェチェン共和国の首長である彼の意見によれば、チェチェン共和国では同性愛のような事例はないとのこと。

チェチェン共和国の執行部は、連邦機関と協力して、性的少数派の状況に関するメディアの報告を検証する用意があるが、今のところ、少数派への迫害に関する公的な報告は受けていない、とチェチェン共和国の首長ラムザン・カディロフは、金曜日、記者たちに話した。

www.interfax.ru

史記

紀元前1世紀頃に成立した歴史書。

史記』を編纂した司馬遷前漢武帝の頃の人。

 

今回読むのは、

たくさんある記事の中から、

70篇ある列伝の6番目、通番66の「伍子胥(ごししょ)列伝」と、

列伝17番目、通番77の「魏公子列伝」、

12篇ある本紀の6〜8番目、通番6〜8の「新始皇本紀」「項羽本紀」「高祖本紀」や30篇ある世家の18番目、通番48の「陳渉世家」

 

私は中国の歴史や地理に不慣れなので、名前や地名を振り返りながら読んでいる。

 

漢字の成り立ちや変遷は、ずっと忙しさを言い訳にして、見ないでいたけれど、「源・暮・燃」の原字が「原・莫・然」だということに触れたりするのは楽しい。

身分の低い侯嬴(こうえい)を招きに行った身分の高い魏の公子が、侯嬴の友人がいる市場に立ち寄る場面の描写もいろいろな思惑が交差し、生き生きしていてよかった。

項羽劉邦についても、少し情報を整理することができた。

虞美人の行方や劉邦の家族のあり様にも関心が向いた。

実に様々な人たちが現れては去っていく。そのことに圧倒された。

三十六計

17世紀半ば、明末清初頃に編纂された兵法書。背景に『周易』の理論ある、とのこと。

 

手にした角川のビギナーズ・クラシックスが『孫子』とあわせて一冊だったので続けて読んだ。一回読んだぐらいでは、頭に残らず、実践で使えるようにはならないが、清濁ある世界で生きていることを改めて感じた。

中国や日本、最近の各国動静についても少し興味が持てた。

孫子

孫子』は、紀元前5世紀頃に成立した兵法書。その6虚実篇に、「無形」「無声」の語がある。

勝利には、相手に姿を見せず、柔軟に変化し、かつ迅速的確に判断し行動することが、不可欠。

改めて、自分を人にわかってもらおうとして、自分を曝したり、自分を説明したりすることは、不要だと知る。また無理なことだと知る。

 

8の九変篇にある、物事の両面、大局を見て、硬直を避け、柔軟にバランスよくあることの大切さも、心に響いた。

 

12の火攻篇の最後「怒りは喜びに、恨みは楽しみに再び変わることもあるが、亡国を再興し、死者を再び生かすことはできない」にも納得。一時の感情に左右されることなく、利益を見極め迅速適切にことにあたることが大事。