言葉の力を信じられるか

これからの時代に求められる国語力について−II これからの時代に求められる国語力を身に付けるための方策について−第1 国語力を身に付けるための国語教育の在り方

 

上記の文章は、平成16年2月3日付けの文化審議会に出された文章のようだ。

これからの時代に求められる国語力について:文部科学省

 

学校教育の国語科は、

理科や数学科のように体系だっているわけでもなく、

CEFRのようにCanDoリストやレベルがあるわけでもなく、

学校教育の教科の中で、最も科学的ではない教科のような気がしていた。

そしてそれは、文部科学省や国語教育研究者の怠慢であるとさえ思えてきていた矢先、

先の方策についての文章を読んだ。

私自身もずっと言葉を信じずにいるところがある。

しかしそれでも、言葉の力を信じることは大切だと感じる。

14年も前のものだか、なかなか頑張っていらっしゃる方もいると考え直した。

これからの時代に求められる国語力について−参考資料:文化審議会委員名簿

鷗外の「舞姫」

角川文庫のビギナーズ・クラシックス近代文学編の1冊、

『鷗外の「舞姫」』を読んだ。

在庫もなく、再版予定もないようなので、アマゾンで中古を購入した。

 

官僚制や国家、組織の縛り、「和を以て貴しと為す」感じの日本像は、今もある。

豊太郎は、苦しんだり、自己嫌悪したりしても、あまり変わらない。

こんなものなのかしら。

美化されたりもする。

南総里見八犬伝

南総里見八犬伝』には、

儒教・仏教・道教的世界観が混在。

完結までに28年、

分量は106冊(『源氏物語』の二倍以上)で、

馬琴が下書きし、絵師が仕上げた挿絵もあるらしい。

 

荒唐無稽だと批判されることもある『南総里見八犬伝』だが、

理屈も筋もあって、読むのに苦はない。

ただ、斬ったり・首をとったり、血なまぐさい場面が続くと苦しくなる。

 

世界には他にも荒唐無稽な話があるようなので、ラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル』なども、機会があれば読んでみたい。

 

 

西行

伊勢や熊野、天皇神道絡みの話になると難しかった。

西行には、和歌ではあまり読まれない「虹」を読んだ歌もあるようだ。

そう言えば、「星」も日本古典ではあまり見かけないが、どうだろう。

院政と男色についても少し触れられていた。