カメラ・オブスクーラ

貝澤哉訳・ナボコフの『カメラ・オブスクーラ』をやっと読み終えた。ナボコフがロシア語で書いた初期(1932-33)の作品のようだ。

盲目ぶり・間抜けぶりを笑い物にされたまま死んでしまった主人公のありようには身につまされるものがあった。

「見る・見られる」は評価が介入するし、「見えない」は無能ぶりを露呈するので、強引で性急な整合性を駆使して世界を理解しようともするけれど、心は満たされない。

心動かされる素敵なものにより多く出会いたい。

もっと五感を使って、既知に縛られることなく、自然を素直に感じ驚くことができる瞬間を増やしていきたい。

言い方

「そんな言い方はない」。

しかし、どんな言い方であっても、言わんとしていることは同じだ。

いや違うのだろうか。

 

「あの人が言うなら」

同じことでも、言う人によって、聞ける時と聞けない時がある。

信頼関係がないと、何を言ってもダメだと言う。

しかし、そもそも、信頼とか信用って何なんだろう。

何かを伝えるのに、そんなに時間がかかるものなのだろうか。

 

「誰が言っても、どう言っても、要点は同じだろ」は、あまり通用しない。

通用しないので、「表現」や「信頼」を考えないといけないけれど、苦手だ....苦しい。

私はおかしいのだろうか。

敬語

フラットな時代、敬語は丁寧語でいいのではと思って生きてきた。

しかし、最近気をつけて聞いていると、世間では尊敬語の使用が圧倒的。

「おみおつけ」のような現象なのだろうか、とも考えた。

「おつけ」では丁寧さが足りないから丁寧さを加えるために「おみ」を付けたという説がある。

丁寧語では丁寧さが伝わらないから尊敬語を多用する。

 

丁寧語はもはやタメ口の範疇なのだろうか。

尊敬語が多用される世界に戸惑いを覚える。

 

アンドレアス・ショルの声

カウンターテナーアンドレアス・ショルの声がとてもきれいだ。

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これはとても若い時のヘンデルのオンブラ・マイ・フ。

 

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これはThe Idan Raichel Projectというグループとのコラボレーション。

ドイツとイスラエルの国交50周年の記念イベントの一つのようだ。

彼のように歌ったり、ピアノを弾いている人のようにピアノが弾けるようになってみたい。

絶望

  貝澤哉さん訳のナボコフ『絶望』を読んでいる。

残りは10章と11章。

本当ではない話を次から次へと書けるのはすごいと感心する。

今回はロシア語からの翻訳らしい。

 

年末は、苔寺目的で、嵐山や松尾大社鈴虫寺など京都の西へ寄った。

予備知識なしでふらっと立ち寄った鈴虫寺の「スマホ(素磨歩)」は思いの外心に残るものだった。

おかげ様、お世話様、お互い様、お疲れ様、ありがとう、も覚えておきたい。

ホットケーキ

ホットケーキを作ってみた。

昨日は失敗した。

粉を先に入れたし、だから、後から入れた牛乳が卵は十分かき混ぜたとは言い難い。

牛乳も調子に乗って多めに入れて、クレープのようになった。

 

二度目の今日は、卵の白身を先にあわ立てて、牛乳入れて、黄味を入れた。

粉も少なめ。

出来上がったホットケーキに、ホイップクリームとバターも添えた。

昨日より美味しかった。

 

今回はベーキングパウダーを買いそびれて、ホットケーキミックスを使っている。

ミックスは割安で手軽。

だけれど、できるだけミックスを使わずに作れる料理を増やしていきたい。

グラタンは、ミックスを使わなくても割と簡単にできることがわかったから。

食べる

当たり前だけど、食べることは大事だし、大切。

最近改めてそう思う。

いろいろなものを食べたり、作って食べたりするのも楽しい。

 

煮干しや昆布、かつお節から出汁をとったおみそ汁。

みそは豆みそと米みそを合わせて作る。美味しい。

みそもだしも実もいろいろあるから、いろいろ試してみたい。