フロベール
1846年〜1854年まで付き合いのあったルイーズ・コレに、フロベールが送った「ボヴァリー夫人」創作に関する手紙が興味深い。
ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』(TBSブリタニカ)の中には、
「同じ会話のなかに、五、六人の人間(会話している人物)、ほかの何人かの人間(噂になっている人物)、土地柄、人物や事物の描写を同時に配置しなければならない」(p194)、
「ぼくの小説で困ることは、いわゆる楽しみの要素が欠けていることです。ほとんど事件というものがない。しかし、イメージこそ事件なんだというのが、ぼくの主張です。この方法で小説の興味を持続するほうがむずかしい、失敗するとすれば、それは文体が拙いからです」(p200)
などが挙げられていた。
小説を書くのは難しそうだ。
白楽天
政治家として人民を「兼(広く)く済(すく)う」ことを意識した詩、
プライベートの充実「独(ひと)り善(よ)し」を大切にした詩、
下定雅弘氏の
詩の形式と内容についてのコラム(p120-122)ほか、いろいろな解説が、私の初歩的な疑問や思い込みを解消し、理解を促してくれた。
例えば、
「絶句は四句の律詩」「排律は句数が十句以上の律詩」
今体詩=律詩は、
「音調の諧和とリズムの美しさを特色とする」ため、「その時々の状況に即しての心情の率直な発露に優れて」いて、
五言古詩は、
「字数の少なさおよびリズムの断続性の強さのために、思索性の高い精神や感情を担うのに優れており、知識人の志を詠じるのに適して」いて、
七言古詩は、
「リズムが活発流麗であるために、」「変化に富む叙事や、起伏に富む感情表現に適する」。
白楽天は、一時期、鶴を飼っていて、友だち・子どものように大切にしたらしい。羨ましい。